金田一耕助の事件簿036b
驚愕する金田一、スピーディな幕切れ
「毒の矢(原形版)」（横溝正史）
（「金田一耕助の帰還」）光文社文庫
緑ヶ丘一帯に届けられた、
｢黄金の矢｣を語る差出人による
悪意に満ちた密告状。
悪戯と考えられていたが、
ついには殺人事件が
引き起こされる。
裕福な未亡人の背中に彫られた
ハートのクイーン。
そこに深々と
突き立てられた矢は…。
と、前回と全く同じ
紹介文を載せましたが、
この原形作品、ほとんど
筋書きに大きな変更はありません。
細かな部分が書き足され、
ミステリとしての奥行きを
広げたような形となっています。
しかし細部に着目すると、
完成版にはない面白さも見えてきます。
【事件簿File-036b｢毒の矢｣】
〔事件発生〕
昭和30年(東京･成城)
〔依頼人〕
三芳欣造
…ピアニスト。金田一に密告状を相談。
三芳恭子
…欣造の後妻。兼子の愛弟子。
〔捜査関係者〕
橘署長…緑ヶ丘署長。
島田警部補…緑ヶ丘署捜査主任。
〔事件関係者〕
三芳兼子…欣造の先妻。故人。
三芳和子…欣造と兼子の娘。
佐伯達人…声楽家。恭子の別れた夫。
的場奈津子
…米国帰りの未亡人。
背中にトランプの刺青。
的場星子
…奈津子の養女。両足が不自由。
三津木節子…星子の家庭教師兼看護婦。
三芳新造…的場家の隣人。
三芳悦子…新造の妻。
八木信介…牧師。的場奈津子と懇意。
沢村…的場星子の主治医。
｢黄金の矢｣なる怪人物から
緑が丘町一帯に出された脅迫状。
三好欣造が受け取った脅迫文のみ、
他と異なっていたのですが、
それはある人物が
｢黄金の矢｣のやり口を真似て、
金田一耕助に事件への参戦を
促すためのものであることが
終盤に明らかになります。
完全版では、
金田一がすべてを見抜いていて、
実行者に穏やかに問いかけ、
真相を語らせる展開となっています。
ところが原形作品の金田一は
それを見抜いてはおらず、
実行者の告白を聞き、
驚いている様子が描かれているのです。
「先生はその封筒の上書きを
どうお思いになりまして？」
「え？」
「その上書き、ほかの字は
きちんと書いてございますのに、
新という字だけはわざと略して、
欣という字に
まぎらわしくなってるとは
お思いになりません？」
「え、な、な、なんですって！」
おそらくそれではあまりにも
金田一がボンクラに過ぎると
考えたのでしょうか、
完成版では金田一がその謎を
丁寧に解き明かす様子が描かれます。
しかし、原形版金田一の方が、
｢獄門島｣や｢八つ墓村｣といった
長篇作品で、
あとから見落としに気づいて
慌てふためく若い頃の姿に
近いものがあると思うのです。
また完成版は、終盤の謎解き場面で、
①金田一の丁寧な事件解明、
②真犯人の悪あがき、
③関係者のその後の幸せな後日談、を
描いた関係で、ある意味
くどくなっている感が否めません。
一方で原形版は、極めてスピーディに
幕切れとなります。
どちらがいいかとは
簡単にはいえないのですが、本作品を
｢中篇｣もしくは｢短篇｣と考えると、
原形版の終わり方が
すっきりしているように思えます。
こうした作品の場合、
原形版と完成版を比較することにより、
横溝の作品創作過程の思考の流れを
確かめることができます。
横溝はあえて加筆することにより、
登場人物一人一人に立体感を与え、
作品をより緻密な構成へと
深化させたのでしょう。
しかも原形版が1956年1月に雑誌掲載、
同年3月には
単行本収録された経緯を考えると、
原形版執筆後、
超ハイスピードで完成版を
仕上げたことになります
(｢雑誌用原稿｣と｢単行本用原稿｣を
書き分けていた
可能性もあるのですが)。
自らの作品に満足せず、
可能な限り手を入れて
さらなる高みを目指す。
そうした横溝の創作姿勢が
最も強く表れているのが
｢毒の矢｣という作品なのでしょう。
完成版とともに
原形版もお楽しみください。
〔本書収録作品一覧〕
毒の矢
トランプ台上の首
貸しボート十三号
支那扇の女
壺の中の女
渦の中の女
扉の中の女
迷路荘の怪人
（2022.6.24）
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